「星空チャンネル」2018年クリスマス特別編
千年祀り唄


電飾の花が咲く頃


夕暮れの街角に佇む者がいた。黒い着物を着た若い男と、その腕に抱かれた赤ん坊。男はまだ、この世の習わしに慣れていなかった。日が落ちても沈まぬ灯りに驚き、唸りを上げて走る荷車を見て感嘆の声を漏らした。
男の名は氷室若宮。赤子の名は和音。二人は、もう何日も食事をしていなかった。街にはちらほらとイリュミネーションが灯され、商店からはクリスマスソングのメロディーが聞こえていた。世間ではもう、そんな季節だった。

「何と美しい花であろうか。まるで天の星の輝きが地に宿ったようではないか」
ライトアップされた並木を見て、若宮が呟く。
「クリスマスだからね」
和音が言う。
「くりすなす?」
「ケーキを食べるの。あと、クリスマスツリーをかざったり、子どもにはサンタクロースがプレゼントを……」
そう言い掛けて、和音は男の腕の中で目を閉じた。寒風が吹き付けていた。

冷たい外気に対し、和音の体は熱かった。
「熱が……」
若宮は羽織を脱ぐと、赤子の身体を包んで抱いた。
「和音?」
呼び掛けるが返事はなかった。息も苦しそうだ。
「これは……早く熱冷ましを煎じなければ……。だが、このように何もかもが石で覆われていては草さえも育たぬ」
男は嘆息した。街には何でもあるから便利なのだと和音は言っていたが、事情がわからない若宮にとっては何もかもが不便極まりなかった。

「どこに行けばよいのだ」
彼はまた道を歩き出した。道路沿いには植え込みもあったが、使える植物は全くなかった。
「すまぬ。つかぬ事を伺うが、この辺りに薬草が生えている場所を知らぬか? 赤子が熱を出して困っておるのだ」
通り掛かった夫婦に尋ねる。若宮は髪を束ね、腰には刀を差していた。が、抱いている子どもは赤いシャツに青い繋ぎの服を着ている。それは、どこから見ても妙な二人連れだった。

「だったら、そこの信号を右に曲がって50メートル程行った所にクリニックがありますよ。藪坂先生は、内科と小児科が専門だから……」
女の方が親切に言った。
「そこを尋ねれば、薬を分けてもらえるのだろうか?」
若宮が訊いた。
「多分。医者だから出してくれると思いますよ」
「そこの四つ辻を曲がった方に向かえばよいのだな?」
若宮は念を押した。
「ええ。そこを右にまっすぐ……。大きな看板に藪坂クリニックって書いてあるから、すぐにわかりますよ」
女がゼスチャーで説明する。若宮は礼を言うとそちらに向かって歩き出した。
「何だろ? あれってコスプレなのかな?」
連れの男が言う。
「さあね。でも、こんな寒空にあんな格好で寒くないのかしら? 赤ちゃんが可哀想」
女も首を竦めて言うと、二人は若宮達とは逆方向へと歩いて行った。


若宮はそれからまた、何人かの人に尋ね、ようやく藪坂クリニックに辿り着いた。しかし、診療時間はとうに過ぎていると言う。しかも、保険証がなければ診察は出来ないと断られ、仕方なくそこを出て、再び道を歩き始めた。ただ、薬を売っている薬局の事は教えてもらえたので、そっちを訪ねる事にしたのだ。
話では、そこには薬草も子ども用の熱冷ましもあるというので安堵したが、いざ、そこの主人に話をすると、金の無い者には薬を売れないと無下に断られてしまった。
「地獄の沙汰も金次第か」
理屈がわからない訳ではなかった。だが、ここで流通している金を、彼は持ち合わせていなかった。

「くるしい……」
和音が言った。
「待っておれ。必ず薬草を見つけてやるからな」
石の町にも若干の植物は生えていた。そして、その薬を売る店があるのなら、必ずそれらの元になっている薬草がある筈だ。それを探そうと考えたのだ。が、どちらを見ても薄汚れた鉱物で出来た家やビルしかなかった。時々、申し訳程度に植えられている植物の中に、解熱効果のある草はなかった。
「のどがかわいた……」
和音が言った。
「水なら、どこかで分けてもらえるかもしれない……」
若宮は周囲を見た。が、通る人はいない。屋根付きの車の群れが猛スピードで通り過ぎて行くだけだ。

「アイスクリームが食べ……たい……」
「あいすくり……? 何の事だ?」
「つめたいやつ……。あまい……おいしいの」
若宮にはその意味がわからなかった。ただ、赤子がそれを欲している事だけを理解した。


さらに歩いていると、ウインドーの中にたくさんの植物が植えられている場所を見つけた。そこでは色とりどりの花が咲き乱れている。無垢のまほろばよりもたくさんの種類があるかもしれなかった。
「ここならば……」
若宮はその中に入ろうとした。が、ガラスに遮られて奥へ行けない。すぐそこに花は見えているのに入る事が出来なかった。さっき訪ねたクリニックや薬局には引き戸があった。それは取っ手を持って手前に引けば、難なく開いた。が、ここには扉がなかった。中に人はいるらしいのだが、そこに辿り着く事が出来ないのだ。若宮はそのガラスを軽く叩いてみた。が、誰も出て来る様子はない。

「ここは裏口なのかもしれぬな」
脇にあった細い路地を抜けて店の裏へ出てみたが、そこには四角い建物があるだけで、豊かな植物の群れは見当たらなかった。
「じどうドアだよ」
和音が言った。
「じどうどわとは?」
「みどりのマットのところにたてばいいの」
若宮はもう一度正面に出た。そして、緑のマットを探した。

「緑の物なら中にたくさんあるが……どれの事だ?」
「下だよ」
和音が指差す。
若宮はようやく開く扉の前に立つ事が出来た。するとセンサーが反応してドアが勝手に開いた。
「何と!」
呆然としている若宮に奥にいた若い女が声を掛けた。

「いらっしゃいませ」
若宮は思わず目を瞬かせ、じっとその女を見つめた。
「千代……」
女は昔親しくしていた娘に似ていた。鈴のように美しく響く声さえも……。
「若宮、まえに出ないとドアしまらないよ」
和音が言った。
「あ、ああ」
冷たい風が店の中に吹き込んで来る。彼が数歩前に進むと、背後でドアが閉まる音が聞こえた。

「いったいどのようなからくりで……」
若宮が呟く。客は彼らしかいなかった。店内にはクリスマスツリーが飾られ、花の甘い香りが漂っていた。見た事のない珍しい花もたくさんあった。若宮は思わずその花々に見惚れた。
「どんなお花がご入り用ですか?」
店の女がにこにこと笑いながら近づいて来た。
「いや、どの花も実に見事だ。だが、欲しているのは花ではなく根の方なのだ。この子のために熱冷ましを煎じなければならん」
男の腕の中でぐったりしている赤ん坊を見て、娘は言った。
「可哀想に……。熱があるのね?」
娘がそっと和音の額に手を当てる。その女からも花の匂いがした。

「病院に連れて行った方がいいんじゃないの? ほら、そこの藪坂先生の所とか……」
「それならば、もう行った。だが、ほけんしょなる物がなければ診てはもらえぬと申されるのだ」
「まあ……」
娘は口元にそっと自分の手を当てた。そんな他愛の無い仕草でさえ、千代に似ている。そこにいる筈はないとわかっていながら、若宮は彼女から視線を外せずにいた。
「薬局で小児用の風邪薬を買ったら……」
彼女が言った。が、若宮は困ったように否定した。
「そこにも行ってみたのだが……。今は金の持ち合わせがないのだ」
娘は困惑した。

「ごめんなさい。うちにお薬があればよかったのだけれど……」
「いや、そなたのせいではない」
話している間にも、和音は苦しそうに喘いでいた。
「アイスクリーム……」
消え入りそうな声で和音が言った。
「アイスクリームなら冷蔵庫にあったかも……。ちょっと待ってて!」
そう言うと娘は店の奥の扉を開けて引っ込んだ。

「美しい花だ」
薔薇や蘭やポインセチア、足元にはシクラメンの鉢もある。
「あったわ。ねえ、よかったら上がって行かない? 和音君にアイスクリームを食べさせてあげたいの」
先程の娘が奥から手招いた。
「アイス……」
赤子が若宮を見上げて言った。しかし、彼はそこに立ち止まったまま動こうとしない。
「あら、どうしたの? 遠慮しなくてもいいのよ」
娘がさらに誘う。
「わかった。では……」
若宮は娘の傍に近づくと、誘われるまま、廊下の奥の一室に入った。


畳の上にこたつがあり、壁際には様々な家具が置かれていた。そして、部屋の隅には、電飾の花が飾られたクリスマスツリーもあった。次々と点滅を繰り返して行くそれは何度見ても若宮にとっては謎めいた花に見えた。
「さあ、どうぞ」
女が座布団を勧めた。
「忝い」
若宮はその上に正座した。
「足を崩してくださいね」
女はそう言うと廊下に出て行く。

部屋の中には暖かな風が吹いている。
「まるで春のようだ。この風はどこから吹いているのだ?」
「おんぷうヒーターだよ」
和音が言った。
「ふとんの下に足をいれるとあったかいよ」
そう言うと赤子は若宮の膝に座ると布団をめくった。
「何と、この下には火があるのか?」
「でんきだよ」
和音が教える。
「電気? 部屋の灯りの事もあの電飾の花も皆、電気で出来ているのだとおまえは言った。では、人は千年のうちに、あの太陽まで行き、火を取って来れるようになったのか?」
彼にはまだ、その仕組みがわかっていなかった。

「お待たせ。ほら、アイスクリーム」
小さな容器に入ったアイスを二つとスプーンを2本持って来て、彼らの前に置いた。
「よかったら、あなたもどうぞ」
その時、店の方からメロディーが聞こえた。客が来た合図だ。
「私、ちょっとお店の方に行かなくちゃ。ゆっくり食べててね」
そう言って彼女は店の方へ出て行った。和音は軽く片手を振って見送った。それからアイスクリームの蓋を開け、スプーンを突っ込んだ。冷凍庫から出し立てのそれは固かったが、和音は少しずつ突いて白いアイスを掬って口に入れた。
「うん。あまい。それに、つめたくておいしい!」
赤子は満足した。

「ほう。雪のように白いのだな」
若宮はじっとカップを見つめている。
「たべてごらんよ。おいしいよ」
和音に促されて、彼もそっと蓋を剥がし、スプーンを持った。
「どれ……」
見た目よりも大分固かったが若宮はスプーンにそれを掬い取った。それから、ゆっくりと口に入れる。和音はその間も少しずつ掬って口に運んでいたが、若宮は最初の一口を入れた途端、全身に電流が走ったような衝撃を覚えた。その後には硬直したように固まっていた。
「冷たい……」
やっとの事でそれだけ言った。

「ああ。何という事だ。この世のすべてが溶けていく……」
身も心もすべて、この小さなカップに入った白い妖に委ねてしまっても良いと思った程だ。彼は夢中でスプーンを動かし、白い妖を掬っては口に入れた。その魅惑的な甘さと冷たさは、最後まで損なわれる事はなかった。いや、むしろ逆だった。アイスの量が減って行くにつれ、思いはアイスクリームに傾いて行った。ふと見ると、和音は半分程残していた。スプーンからも手を放し、男の腕にもたれて欠伸している。
「どうしたのだ? あれ程食べたがっていたというに……。もうよいのか?」
「うん。もういっぱい……」
アイスクリームは、容器の中でゆっくり溶け始めていた。
「ここはまるで春の陽気だ。放置すれば溶けてしまう……」
赤子にそれとなく注意を促したが、彼は眠り掛けていた。

「せっかくの好意が……」
若宮が言った。
「ほしいなら、おまえにやる」
そう言うと、和音は眠った。若宮は和音のカップを引き寄せるとその中にそっとスプーンを入れた。
「残しては申し訳が立たぬ……」
言い訳しつつもせっせとスプーンを口に運ぶ。美味だった。それまで食したどんな馳走よりも、それは甘美な味がした。
「馳走になった……」
空になったカップに、彼の視線は釘づけられていた。

「この世にはまだ悦なる不思議が多くある」
若宮は指で己の唇に触れてみた。そこにはまだ冷たさが残っていた。軽く舌先で触れると甘さを感じた。
「命を賭して命を生き、俺はここに蘇ったのだ」
その時、花屋の娘が戻って来て言った。
「待たせちゃってごめんなさい。でも、これを……」
袋の中から小さな箱を出して言った。

「お薬を買って来たの。やっぱり放っておけないもの」
それは小児用の風邪薬だった。
「あなた達、どこに住んでいるの? 困っているなら役所に相談した方がいいと思うの」
「住んでいるのは、そなたの知らぬまほろばだ。この街に住むべき家はない」
「なら、どうやって……」
娘はその先の言葉を言わなかった。あまりに立ち入った質問だと思ったからだ。
「あいすくり……は旨かった。馳走になった。それに、薬の件については感謝する。この礼はいつか必ずする」
若宮が言った。
「いいのよ、別に。わたしがそうしたいと思ってやった事なんだもの。気にしないで……」
そう言うと彼女は箱を開けて薬の入った瓶と小さな計量カップを出した。

「えーと、これは1日3回。量は年齢によって違うから説明書を読まなければならないわ。この子は幾つ?」
「はて? 数えで3つか4つになると思うが……。和音、おまえの年は幾つだ?」
和音は黙って指を3本立てた。
「3才でいいのかしら? 数えって事ならマイナス1とか2とか引くんだったと思うけど……」
女が若宮を見る。
「俺は、数えの17だ」
「あ、あなたの年じゃなくて……。でも、ほんとに17? 数えで? じゃあ、15か16って事よね。何か随分落ち着いた感じだったから……」
「構わぬ。俺は昔の人間だ」
「昔って……?」
彼女は戸惑っていた。

「ぼくはまんねんれいで3つだよ。今はね」
和音が目を開けて言った。
「そう。じゃあ、シロップはこの線のところまでね」
彼女が測って和音に渡す。
「ありがとう」
和音がそれを飲み干す。
「これもあまいね」
和音が笑う。

「私は赤根睦美(あかね むつみ)よ。君は和音君でいいのよね?」
「うん」
和音が頷く。
「俺は、氷室若宮という」
男も名乗る。
「いい名前。でも、呼ぶ時は若宮君でいいわよね? だって年下だもん」
彼女が言った。

「おねえちゃんはいくつ?」
和音が訊いた。
「あら、女性に年なんて訊くもんじゃないのよ。でも、和音君になら教えてあげる。私は今、21よ。春に専門学校を卒業して、このお店を継いだの。ここは祖父母がやってたお店だったの。店舗兼住宅って感じ。でも、私はここには住んでいないの。ここにある物はみんな、お爺ちゃんとお婆ちゃんが使っていた物ばかり……。古い物だけど、まだ使えるよ。もし、あなた達、行く所がないなら、ここに住む? 夜になると誰もいなくなっちゃうから物騒だったし、昼間は大抵私独りだから、用心棒って事でよければね」

「それで良いのか?」
若宮が訊く。
「ええ。和音君の熱が下がるまで……もしくは、もう少し先まで……になるかな?」
「それは有り難い。何しろ、和音はまだほんの赤子。出来れば屋根のある場所があればと探していたのだ」
その夜、二人は、ここに宿を取った。部屋には電飾の花が咲き、空には星が瞬いていた。